松山第五尋常小学校の門跡(松山市立新玉小学校)

先日松山市立新玉小学校へ

松山市立新玉小学校体育館『玉』額(1971(昭和46)年)

を見せていただきに参りました際に、

第五尋常小学校の門がまだあると校長先生がご厚意で案内して下さいました。

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大暁が松山第五尋常小学校を卒業したのは、

昭和3年3月のことです。

その翌年(昭和4年4月)には「新玉尋常小学校」と校名が変更されました。

新玉小学校は昭和11年に火事で校舎が消失したり、

松山大空襲(昭和20年7月26日)で焼失したりしたのですが、

校門だけは残ったと、新玉小学校の校庭の隅に移築してありました。

レンガ造りの立派な門で、歴史の重みを感じました。

実際に大暁が通った頃にもこの同じ門があり、

戦火(戦禍というべきか)も潜り抜けてきたのだと思うと

この門を置いておいてくださったことに感謝したい気持ちになりました。

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松山市立新玉小学校体育館『玉』額(1971(昭和46)年)

第23回いろどりの書作展が開催されます!

第23回いろどりの書作展

今年も、第23回いろどりの書作展が開催されますので

お知らせいたします。

■とき

2022年6月15日(水)~6月19日(日)

9:40~18:00(最終日は16:30迄)

■ところ

愛媛県美術館 新館 2階特別展示室

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今年も彩り豊かな作品がそろっています。

ご期待ください!

会員ログインページのIDとパスワードを変更しました☆

先週木曜日に発送いたしましたので

みなさまのお手元にそろそろ6月号が届いていることと思います。

会員ログインページのIDとパスワードを

6月号のものに変更しました!

今月号は特別号ですので是非ゆっくりご覧ください。

また、来月は昇段昇級試験です。

師範を受験の方は、三体での崩し方の間違いには特に注意してください。

【書の鑑賞】文字ってなんだ②にも書きました通り、

崩し字というのはパーツの組み合わせです。

適当に線を引くのではなく必要な線かどうかを見極めて

読みやすい草書を書くように気をつけて下さい。

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河東碧梧桐『三千里』上下巻、『続三千里』上巻(1973(昭和48)年~)

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講談社から出版された『三千里』シリーズに

大暁が関わっているのですがこれはあまり知られていないかもしれません。

『三千里』の上・下巻、『続 三千里』の上巻で脚注とルビを担当しています。

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こちらは『三千里』上巻の目次です。

本名の「茂雄」で校訂として登場しております。

これは1972(昭和47)年の12月に三千里への解説を頼みたい、と

東京から電話があり二つ返事で引き受けた、と書いてありました。

解説(たぶん脚注)と難読漢字へのルビをつけることが

今回頼まれた主な仕事だったそうです。

年が明けてからはひと月ほどずっとこの仕事にかかりきりで、

ことあるごとに「碧梧桐の語彙はすごい」と書いていました。

自分で好きに読む分には良いが、

人に見せるものとなると正しくなければならないので

辞書が手離せなかったそうです。

また、自分自身の勉強にもなるので大変ありがたいことだ、とも書いていました。

毎年1月には独立祭のため上京しているので、

その時に講談社で直接打ち合わせもしていました。

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ところで我が家に保管されてある初版本の『三千里 上』には

第二刷用に、かと思うのですがあれこれとメモが書いてあります。

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見えますでしょうか?

鉛筆であれこれとメモをしています。

たくさんのページ(体感だと三分の一くらい)にこのようなメモがあるので、

本が出てからも勉強を続けていたのだなと思います。

『続 三千里』の方は上巻だけ名前が載っているのですが

なぜ上巻だけなのかについてはまた追って調査してみたいと思っております。

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龍眠会特集の『墨美』159号(1966(昭和41)年6月)

河東碧梧桐特集の『墨美』164号(1966(昭和41)年12月)

『新潮』(1972(昭和47)年新年特大号)

瀧井孝作『俳人仲間』(1973(昭和48)年10月)

『河東碧梧桐 ―俳句と書―』(1982(昭和57)年1月)

『愛媛 わが郷土』タイトル文字(1982(昭和57)年11月)

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この本は本当に大きくて立派です。

時代的なものかもしれませんが、

大型本でカバーもしっかりしているし

しかも中身はフルカラーで本当にすごい本です。

さすがバブル期、と思います。

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裏表紙もこんな感じでフルカラーです。

昔の愛媛県の地図が描かれてあります。

昭和57年なのでこの時はまだ四国中央市とかもなくて

宇摩郡とか川之江市とかですし、

東予市や周桑郡も現役ですから、

この古地図だけじゃなくて中身も今となっては懐かしいです。

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名前もしっかり書かれています。

内容はと言うと、愛媛県内の色々な場所の航空写真がずらっと並んでいます。

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1ページだけ、と思いひとまず持田が写ってそうなのにしました。

グラウンドは松山商と松山東と附属です。

あと八坂小学校も写ってますね。

東高校の南側の道の幅が今よりずっと狭いです。

この時はまだ柳もありましたね。

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以前ご紹介した道後ゴルフ倶楽部も写っていましたよ。

愛媛県内のゴルフ場だけをピックアップして載せているのも

なんだかバブルっぽいですよね。(偏見?)

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この時からいえばだいぶ未来に今ありますけど、

たしかに貴重な資料だなと思いますし

こんな贅沢な本は今出せないだろうなと思います。

なんか見れば見るほどすごい本でした。

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『道後ゴルフ倶楽部』入り口の石碑(1978(昭和53)年10月)

喜多浦八幡大神神社(1985(昭和60)年)

実はこれについては日記の記録が無いのです。

昭和59年から60年にかけての日記を

多分3回通りくらいは読んだのですが

その中に出てこないのです。見落としてるだけでしょうか…

この石碑の存在を見つけたのは、一番上にあります俳句、

雑誌『習字』昭和61年12月号(P.19)でした。

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喜多浦八幡大神神社は、愛媛県今治市伯方島にある神社です。

この時は4月の終わりころだったのですが、

海が本当にめちゃくちゃきれいで感動しました。

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海の色がすごいですよね。

橋も含めて、瀬戸内海って美しいなと思いました。

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さて、神社です。

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神社の緑って他の緑より深いように感じるのですが気のせいでしょうか。

そして神社にはありがちの、階段です。

でも思ったよりは階段が多くなかったので大丈夫でした。

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奥に見えるのが本殿です。

この本殿に向かって右側に、石碑があります。

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これはもうどう見ても大暁の字ですね。

この石碑は、横に名前がありました。

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裏はこんな感じです。

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…ん?

今見ると、「竣工」が昭和六十年四月十四日と書いてありますね。

…と、いうことは、この除幕式はもっとずっと後ということですね…?

 

なんたること!!!

 

また調べ直して追記します。

よく見たら俳句も「秋」って書いているので

秋ごろを狙って探してみます。

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【お知らせ】「澤田大暁の足跡」を6月から不定期更新にします。

澤田大暁の足跡を全部出し終えたわけではまったくないのですが、

日記を読んでまとめて調べに行くペースと

ホームページを更新するペースとの折り合いがつかず、

最近体調に異変をきたしてきてしまったので不定期更新に変更します。

楽しみにしてくださっている方には申し訳ありません。

今後は一つ一つじっくり調べて満を持してご紹介したいと思います。

(今以上に文章長くする気か?!って感じですが)

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足跡内でリンクや追記が多いことでもお分かりかと思いますが

記事の中からまた新たな謎が出たり、

逆に調べるうちに以前の謎が解けてきたり、

やりながら調査が複雑に絡み合って進んでいくのです。

もっとちゃんと調べてからご紹介したいのになと

以前からじわじわ思い始めていました。

70周年記念特別号の『習字』6月号が出るこのタイミングで、

いったんペースを落としてみたいと思っています。

その分、ブログとして蛇足をご紹介したり、

進捗状況をご紹介したり、

一つ一つの記事について丁寧に詳細にお伝えしていきます。

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というわけで、

『澤田大暁の足跡』の一覧に入るような記事は不定期更新になりますが

ブログなどの更新は続けるつもりですので

今後ともよろしくお願いいたします!